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まるっと!丸の内 ~学生も丸の内の一員に~

丸の内と聞くと「丸の内OL」などオフィスを連想させるワードが思いつくだろう。実際に私たち学生にとっても 将来、丸の内で働けたら…というような“憧れる大人の街”というイメージだ。もちろんオフィス街としての側面も強い丸の内だが、それと共に独自のまちづくりを行い発展してきた。今回はそんなまちづくりを牽引してきた三菱地所株式会社開発推進部、エコッツェリア協会専務理事の村上孝憲さんに、三菱グループの歴史とリンクする丸の内の変遷と、新たな丸の内として学生視点の意見を交え、お話しを伺った。

  1. 1江戸から明治、昭和、平成の「丸の内」、そしてその先へ。
  2. 2「ビルを創る」から「まちを創る」に。常に先を見据えた持続可能な開発
  3. 3新しい働きかた、三菱地所の最新実験オフィス体験コラム

1 江戸から明治、昭和、平成の「丸の内」、そしてその先へ。 まずは丸の内を含む大手町・丸の内・有楽町エリア(通称:大丸有)の歴史について。その歴史は江戸時代までさかのぼる。

―武家屋敷が並ぶ江戸から明治

村上氏
「江戸時代の大丸有地区は埋め立てて武家屋敷が出来ていたような場所でした。丸の内という地名ですが、「丸」っていうのはお城のこと。ですからお城の内側という意味で、内堀の中にありました。ここに徳川家康は自分の1番信頼のおける、いわゆる関ヶ原の戦いで徳川についた人達や自分の兄弟である御三家の人達を住まわせていました。このようにこの場所は武士が住んでいたので区画が大きい街だったんです。」
「江戸時代が終わると明治になるんですが、明治時代になると大名の参勤交代がなくなり東京の土地はいらなくなったので売ったり、徳川家に返していたりしていたんですね。このままボンっと空いちゃっていたんです。で、ここの屋敷跡には陸軍の訓練所や、一部霞が関のような機能があったんですが、その後1890年、19世紀の終わりぐらいにはここはもう草むらになってしまったんです。だから皇居の前に大いなる草むらがあったっていう、そういう時代です。」

村上氏
「その土地を三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の弟、岩崎彌之助が国から買います。この買ったお金が128万円で当時の東京市の年間の予算の3倍くらい。これは余談ですけど彌之助は“竹を植えて虎でも飼うさ”といったとかいわないとか。そのような状態で1890年に買いました。じゃあどういう街をつくったらいいのかなというのが分からないので、三菱本社管事の荘田平五郎がイギリスに視てきたんですね。当時のイギリスのレンガ建てでちょっと高い建物、こんなものを作ったらいいんじゃないですかっていうのが1890年から1900年代、20世紀初頭にかけてです。この頃のことを赤レンガの一丁倫敦時代っていうふうによんでいます。そして20世紀に入ってくると今度はコンクリートで建物を作るようになってきて、昔の丸ビルのような建物ができてきました。これはアメリカの技術を使って作っていたんですけども、この時代を1920年から1940年の第一次開発の後半で一丁紐育とよんでいます。で、その後も1950年、60年とコンクリートの建物をどんどん作っていきました。」

―激動の時代と丸ビル

村上氏
「ですが、丁度丸ビルを作っている時に関東大震災が起こったんです。ビルは工事中だったんですけど全然何ともなかったんですね。結構丈夫だったんですが、その後1945年、昭和20年に関東が終戦間際なんですけど焼けまして。ですが丸の内はいくつかビルが残っているんです。丸の内のビルが残った理由は色々説があるんですが、皇居に近かったという説もあれば、要するに全部壊しちゃうと進駐軍が入ってきたときに統治する場所がないので目ぼしいビルは残しておいたとか、そんなようなことも言われています」。
「この時代から日本は一気に成長していくんです。終戦で焼け野原になるんだけど、11年後の1956年には“もはや戦後ではない”っていう発言がでたり、この10年くらいで実はものすごい回復をしていて、その後1ドル360円の時代から円高が進んでばーんとくるというのが皆さんのお父さんぐらいの時代なんですよね。ご存知の通り87年にブッラクマンデーが起こって、株価が下がって、で阪神淡路大震災が起きて、911が起きて。で、実は少し盛り返したんですが2008年にリーマンショックが起こっちゃって。また下がって、そして今現在少しずつ盛り返してきているというのが今の時代なんですね。」

―平成の新たなまちづくり

村上氏
「お二人が生まれた時代でもある平成の30年間。この間に丸の内は何をしたかっていうのが非常に重要なんです。1988年にマンハッタン計画っていうものを作っているんです。容積率2000%で200mくらいのビルが並んでいるっていう。これは1988年に三菱地所が作りました。ですが各方面から色々ご意見を受けまして。大丸有の3分の2は三菱地所じゃない人たちが持っているんです。そして「大丸有再開発計画推進協議会」というのが出来ました。それが1988年。このエリアの地権者みんなに集まってもらって、みんなで一緒に大手町、丸の内、有楽町地区の今後をみんなで一緒に考えませんかって、そういう投げかけをして賛同を得て、地権者さん全員がいいよねっていって始めたんです。大丸有エリアのすごいところは民間の人たちが全員で合意してやろうねって言っているところなんです。三菱地所だけが言っているわけではないんです。」
「そしてもう1つ大きな流れがあります。“丸の内の黄昏”っていうんですけど、丸の内って当時はコンクリートの建物がダーっと並んでいてどのビルにも1階に銀行が入っていた。銀行は15時になるとシャッターが閉まるので仲通りはシャッター街だったんです。歩いている人も夕方になると誰もいないっていう。1998年から2000年になる頃、まちってもっと賑やかなほうが良いんじゃないかとか、いろんな人が集まってくるのがまちなんじゃないのかということをみんな言い始めた時代なんですね。それで今度超高層ビルを建てるときは1階の銀行をやめて、1階から5階ぐらいまでは商業施設を作ったらいいんじゃないですかって。そういう街にしましょうっていうことを考え始めたのがこの頃で、1997年8月の日本経済新聞の記事“丸の内の黄昏”だったんです。」

―まちへの思いを1つのカタチに

村上氏
「1つはみんなでやっていこう。もう1つは街に求められている機能の変化ですかね。それを考えながらはじめたのが、まちづくりです。なので地権者さんみんなで実はガイドラインっていうものを作ったんです、自主的に。ガイドラインのなかで例えば建物は何メートルにしましょうとか、1階から3階までは商業施設を入れましょうとかですね。みんなでそうやっていくことによってすごくいい街ができるよねって。いい街ができれば自分の持っているビルの価値が上がるんじゃないですかっていう。そうゆう理屈でこのまちづくりガイドラインを作りながら再開発を進めてきました。」
「だからビルを作っているのではなくて、まちを作っていこうというところが非常に重要です。それと自分たちだけではできるものではないので、みんなで協調して作っていくことも非常に大事です。」

2「ビルを創る」から「まちを創る」に。常に先を見据えた持続可能な開発

―100年後そして1000年後を見据えて

村上氏
「開発って一度ビルを建てると100年くらいそのビル使い続けるんですね。そうすると100年後のことも考えながらビルを作らないといけないし、まち全体が常に関係性をもちながら動いているんですね。つまりずーっと持続可能じゃないといけないんですよね。だから目先の利益だけではなく、将来のことも考えながら持続していくような活動をしていくことが大切なんです。そして持続可能な開発であるためには人が持続可能じゃないといけないんです。人が主役ですよね。だから非常に人のことを考えているっていうか、そこは非常にメインにおいているところです。」

―ダイバーシティとしての丸の内

村上氏
「ダイバーシティって呼んでいますよね。それがただ単にダイバーシティが大事っていうよりも、そういう人達がもっと一緒になって新しい価値を作っていく、新しい時代を作っていく、これは包摂、インクルージョンって言われるんですけど、そういうことがこれから大事だと思っています。」

―新たな開発を通して

村上氏
「これからは有楽町の開発がキーになると考えています。有楽町は銀座にも近いですし、日比谷の映画館や宝塚劇場もある、あと食べ物屋さんとか。なのでここはそういう銀座や日比谷との連携を考えて、もう少し柔らかい街にしていったらどうかという考え方もありますね。」

―丸の内とそこに集う人々

冒頭に述べたように丸の内と聞くと、オフィス街や、ビジネスマンのいる街と想像してしまう人が多いと思う。私たち学生目線で丸の内を学生にもっと親しみやすく感じるために、広報的に役に立つことができたらと思う。学生では知らない人が多いと思われるが丸の内では、毎日多くのイベントが開催されている。今年の夏には「サマーキャンプ」という学生向けのビジネスアイデアワークショップを開催していたり、秋には今年10周年を迎える「丸の内朝大学」の文化祭を開催したり、「オープンシティ丸の内」という誰でも参加可能な丸の内を歩いて回るウォーキングイベントの定期実施もしている。このように丸の内では誰でも気軽に参加できるイベントが開催され、皆が集える場所であると取材を通して感じた。

<取材・文>
法政大学
経営学部 経営戦略学科
勝田 さくら
法政大学
経営学部 市場経営学科
下田 明香里

3 新しい働きかた、三菱地所の最新実験オフィス体験コラム

―近未来的空間「3×3Labo future」

ここは未来の働き方、人が中心のまちづくりの実験として三菱地所が取り組んでいる実証オフィスです。ここにはいろんなバックグラウンドを持つ人が集まって、交流・コラボをしながら横断的に何か新しいものを作っていこうとする場所です。

1 次世代オフィス

オフィス内の照明が少し暗いように感じる。間接照明になっているからだ。年代や性別で光の感じ方は違うため、間接照明をメインにタスク照明を併用することで自分に合わせた環境にすることが可能になる。空調もタスクデスクと呼ぶ輻射式空調を搭載している。これも自分で温度調整が可能となっており、体調に合わせて設定することが出来るという。 そして全ての椅子にはダイキンのエアリトモというセンサーが搭載されており、毎日ストレス度を測り分析していくことで、より快適なオフィスの実現を目指す。

2 五感ルーム

ここは上に述べたエアリトモが搭載された椅子を1つ配置した個室になっている。この椅子に1分程座ると心拍を計測し自律神経を8つのパターンに分類、部屋の明るさが緑色になったり、ミントの匂いが出てくるといった五感に結び付くような変化が自動的に起こるようになっている。仕事をする上で自分の身体のコンディションに合わせた環境を作ることが目的で、この場で体験してもらいデータを集計、将来の実用化を目指すための実証実験的取り組みを行っている。

3 ミーティングルーム

誰でも使えるミーティングコーナー。昇降可能なデスクになっている。最近では打ち合わせの際はパソコン1台で手短に10分、15分で済ます方が多いかもしれない。昇降可能なテーブルにすることで、立ちながらの打ち合わせをスムーズにできるようになるという。椅子はスタンディング仕様だがバランスボールのような機能もあり、体感を意識しながら健康になりつつダラつきを防いでくれる。

三菱地所webサイト
3×3 Lab Future
エコッツェリア協会

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