海外交流チーム

ダイバーシティの先進地 ルクセンブルク

ここ千代田区には、様々な14の国の大使館が集まっています。その中の一つ、市ヶ谷駅から徒歩4分にあるルクセンブルク大使館をご存じでしょうか。ルクセンブルクはヨーロッパの中にあり、日本の神奈川県と同じくらいの面積の、小さな国です。小さい国にもかかわらず、実は、一歩先行く多様性で溢れ、知れば知るほどおもしろい国なのです。この記事を読んで、ぜひ新たな発見をしてみてください。

質問1

ルクセンブルクから見た日本の印象とは?また、両国間での皇室の関わりについてもお聞きしたいです。

公使参事官
日本は大変モダンな国だと思います。質の高い製品を作っていて、ハイクオリティな国ですね。細部に気を遣う文化、何事もきちんとしていている印象を受けました。国民性は優しく穏やかだと思います。一方、シンプルな面もありますね。それから組織化されていて、時間に大変正確な国民という印象を受けました。日本と比べると、ルクセンブルクは少し緩やかな感じがすると思います。最近ルクセンブルク人は日本にとても興味を持っています。マンガや、ゲーム、あと忍者など、伝統的な着物やお寿司などにも興味を持っています。

日本の皇室とルクセンブルクの大公家の関係ですが、大変良い友好関係です。1953年に行われた英国エリザベス女王の戴冠式で、現上皇陛下と、亡くなられたジャン大公殿下が初めてお会いになりました。ジャン大公殿下がご逝去された際に、大使館で弔問記帳を行わせていただき、現上皇両陛下がお出まし下さったのが最近の出来事です。

ルクセンブルク大公国大使館 公使参事官 クリスチャン・ミュラーさんにお聞きしました

公使参事官
ルクセンブルクの現大公、アンリ大公殿下は、今から一年半ほど前に国賓として日本を訪問されました。アンリ大公殿下は公式にも、又プライベートでも、既に日本に10回以上来日されています。日本の皇室がルクセンブルクを訪問された機会もあり、例えば今から6年ほど前、今の天皇陛下の浩仁殿下は現ルクセンブルク皇太子ギヨーム殿下の結婚式に参列下さりました。

質問2

脱金融の先の産業として宇宙産業をはじめとする様々な産業に着手されていますが、今後ルクセンブルクの強みとなる産業は何だとお考えですか。また、その際に日本とどのように協力していきたいとお考えですか。
公使参事官
ルクセンブルクの経済の歴史について触れますと、19世紀までは農業国で貧しい国でした。イタリアからの移民が今から100年ほど前に興った鉄鋼産業に携わるようになります。1970年代の鉄鋼産業の構造不況を受けて、国は金融業にシフトしていきました。現在は世界の主な金融会社が支店を置き、日本の銀行も6行支店があります。
1980年代ごろから衛星通信産業が発展してきました。科学技術の発展とともに、50以上の人工衛星が打ち上げられています。世界中の人々が見ているテレビを映し出す人工衛星もルクセンブルクのものです。日本との関わりといえば、「はやぶさ」が天体で採取したサンプルを地球に持ち帰るミッションが話題ですが、ルクセンブルクとアメリカは天体で採れる資源の開発に力を入れています。

質問3

フランス語とドイツ語がすでに公用語とされていた中で、あえて1984年にルクセンブルク語を公用語として新たに制定した理由は何でしょうか。
日本もルクセンブルク同様、学校教育で外国語を学習していますが、ルクセンブルクのように日常生活で多言語を使いこなせないので、ルクセンブルクの多言語性について伺いたいです。

公使参事官
ルクセンブルクには3つの公用語があります。ルクセンブルク語とドイツ語、そしてフランス語です。国民の約半数が外国人ですので、話す相手により言語が変わりますし、場面ごとで使い分けされています。

学校では、小学校でドイツ語、続いてフランス語を習い、中学から英語を習います。また、教科書はフランスとドイツの二か国で出版された教科書の質が高いので使用しています。フランス語は後の高等教育に進む際に学んでおいたほうがいいとの考えもあります。 ドイツとフランスは、ルクセンブルクの隣国の大国です。家庭で話されているルクセンブルク語はドイツ語に似ています。フランス語が使われているのには歴史的背景もあります。

質問4

ルクセンブルクでは全人口の内、外国人居住者が45.3%にも上がり、160か国以上の国から集まっていると聞きましたが、ルクセンブルクの移民受け入れの状況についてどうお考えでしょうか。
公使参事官
ルクセンブルクは100年以上前から移民を受け入れ始めました。イタリア、ポルトガル、フランス、ベルギーなどの近隣諸国から大勢が移民としてルクセンブルクに入ってきました。第二次世界大戦後は国内の金融センターや宇宙産業などの急速な発展とともに、優秀な労働力への需要が高まり、さらに多くの人々を外国から受け入れました。そのおかげで、ルクセンブルクは国際色豊かな国として現在も発展し続け、まさにEUの中のラボラトリーとも言える国に成長しました。また、アメリカやオーストラリアなどと違って、ルクセンブルクに住んでいる外国人の多くは我々と同じ文化的背景を持っているので、前述のやや複雑な移民国家の状況とは少し異なっています。ルクセンブルクも30年ほど前からアジアからの移民、5年10年程前からはアフリカからの移民も受け入れ始めましたが、彼らもルクセンブルク語を話すようになっていますし、ルクセンブルクの経済発展に大きく貢献してくれています。

質問5

ルクセンブルクのニュースを調べていると、首相が同性愛者であることを公言し、また2015年には同性婚をしたことを知りました。キリスト教徒が多いにもかかわらず、同性婚が認められているのはなぜでしょうか。
公使参事官
2013年に、ルクセンブルクは、同性愛者であるとカミングアウトしたグザビエ・ベッテル首相と、エティエンヌ・シュナイダー副首相を擁する世界初の国となりました。ルクセンブルクは長い間キリスト教の価値観に影響されてきました。今日でも一般的にはそのままですが、教会が人々の生活に与える直接的影響は減少してきているようです。また、ルクセンブルクの国民は多くがオープンで寛容で、様々な生活様式に対応してきました。同性愛者のカップルは、結婚し養子を迎えることができます。彼らは異性カップルと同様なのです。
学生
「ルクセンブルク大公国は、自由で進歩的、さらに寛容な民主主義であることに誇りを持っています」と最初におっしゃったのですが、とても感銘を受けました。日本でも少しずつですがLGBTに関する理解が増えてきています。しかし、ルクセンブルクのように同性婚が完全に認められてはいませんし、課題もまだ多くあります。時代の変化を受け入れ、自由であることを誇りに思うことは、多様性を認められる社会への第一歩なのではないでしょうか。

質問6

日本にはあまりなじみのない、ルクセンブルク料理や、現地の人から愛されている隠れた特産品などあれば、教えて下さい!
公使参事官
ルクセンブルク料理の多くは伝統的な農家の食材で作られています。よく知られているのは、「クニードレン」と呼ばれるベーコンとクリームソースのすいとん、ソーセージを使ったシンプルな豆のスープ、ブラックプディングソーセージの「Träipen」(トライペン)があります。また、チーズの特産品「Kachkéis」(カーケイス)があります。最後に大切な料理を言い忘れました。伝統的なLuxembourg Grill Sausageです!ルクセンブルクのマスタードを添えて、ロールパンにはさんで食べることもあります。

ソーセージの料理が多いですね。どれもおいしそうです。ただ一つ、想像しにくい「Träipen」についてもう少し調べてみました。これは豚の脂肪や皮、なんと更に血液までも使用して作られた黒いソーセージをフライパンで焼き上げ、アップルソースを加えたもの、だそうです。写真を見ると、想像していたソーセージとは違う、本当に真っ黒な色をしていて驚きました。日本ではなかなか食べられないのが残念です。ルクセンブルクに実際に行った際には、本場の味を楽しめたらいいな、と思いました。

今回取材をしたルクセンブルク大公国という国は、一般的に私たち日本人には馴染みが薄いのですが、実際調べてみると、日本とルクセンブルクは宇宙産業をはじめとする多くの分野で接点があること、ルクセンブルクは世界でも有数の多様性豊かな先進国であることに驚くとともに、「人生で一回は行ってみたい!」と思うようになりました!「興味はあるけど、旅行は厳しいな」という方は、大使館で開催されている、経済セミナーや展示会などに足を運んでみるのもいいかもしれないですね!

在日ルクセンブルク大公国大使館WEBサイト
https://tokyo.mae.lu/jp/

在日ルクセンブルク大公国大使館 東京公式Facebookページ
https://www.facebook.com/Embassy-of-Luxembourg-in-Tokyo-313171658753324/

ルクセンブルク政府観光局WEBサイト
https://www.visitluxembourg.com/en

ルクセンブルク政府観光局公式Twitter
https://twitter.com/luxembourginfo

<取材・文>
大妻女子大学
社会情報学部
村上 真緒
大妻女子大学
文学部
長谷川 杏
共立女子大学
国際学部
立原 愛里彩
東京家政学院大学
現代生活学部
鷺谷 友恵
法政大学
法学部
押田 悠希

ルクセンブルクのリアルライフを聞いてみた!

ルクセンブルク大学に大学の交換留学制度を利用し1年間留学をされた岡本沙椰さんに取材してきました。

取材者 
いつごろ留学をされたのですか?
岡本さん
大学2年生の9月から3年生の6月まで行っていました(2017年9月から2018年6月)。
取材者 
なぜルクセンブルク大学への留学を決めたのですか?
岡本さん
始めはルクセンブルクがどこにあるかも知らなかったのですが、他に誰も行っていない場所へ自分の学んでいる英語、第2外国語のフランス語を生かして留学したかったためルクセンブルクを選びました。ルクセンブルク大学では語学を学ぶためFaculty of Language and Literature, Humanities, Arts and EducationのEnglish Studiesに所属していました。
取材者 
ルクセンブルクの大学生の学生生活について教えてください!
岡本さん
街自体が世界遺産になっていて風光明媚な街ですが、遊ぶところがないので大学が終わると家や寮にまっすぐ帰っていました。学部ごとに時々イベントはありましたが、サークル活動はほぼなかったのでそのような学生が多かったと思います。バイトをしている子は周りにはほとんどいませんでした。そもそもバイトという概念がルクセンブルクにはないようにも感じました。募集しているところを見なことがなかったです。学生は勉強するもの、という感覚があるようでした。大学が3年制で短いこともあって、日本の大学生より勉強量は多いかもしれないです。学生生活が短いのでみんな必死に勉強していました!でも大学進学は日本より必然性がなく、日本より大学進学率は低かったです。学びたいことがある人や将来の仕事を決めて学びにきている人が多いのだと感じました。あとは国が裕福だからか、実は正規学生(留学ではなく入学した学生)には国から給付金15万が出ていると聞きました。羨ましいですよね・・・。
取材者 
放課後にクラスメートとカフェ、なんてこともなかったのですか?日本の大学生は結構そういう人も多いですよね。
岡本さん
放課後にクラスメートと勉強会はしたりしますが、外食が高いので寮に戻ってましたね・・・。学生には外食はカフェも含めてちょっと高額でした。でもイースターやクリスマスの屋台での伝統料理は食べました。
Kniddelen(クニドルン:カルボナーラのソースにニョッキとベーコンが絡められたもの)、Gromperekichelchen(グロンプルキシュルチェン:ジャガイモのペーストとベーコンを焼いたもの、ポテトパンケーキ)、Aachtchen(アーハチェン:8の字型になっているデニッシュ)などが売られてました。アルコールはルクセンブルクではワインが有名だと思うのですが、実はドイツが近いせいかビールも有名らしくてどちらも手軽に購入できました。
取材者 
ルクセンブルクは多言語国家だと聞いたのですが、苦労したことはありましたか?
岡本さん
マルチリンガルの人たちは相手の人種や雰囲気で言語を変えてくれて英語で話してくれたので言語により困ったことはほとんどなかったです。でも人によってはフランス語しか話せない人もいました。ルクセンブルク人によると見分け方があって、はじめにルクセンブルク語で挨拶をしてフランス語で帰ってきた場合はフランス語しか話せない人のことが多いらしいです。授業は英語のみでしたが、マルチリンガルの生徒たちは休み時間に思い思いの言語で意思疎通を図っていました。面白いと思ったのは、互いに多言語を操れても混乱を避けるために初対面で使った言語を使用して話すことが普通だとルクセンブルク人のクラスメートが言っていたことです!
取材者 
ルクセンブルク語に触れる機会はありましたか?
岡本さん
ありました!例えば電車のアナウンスはルクセンブルク語が流れ次にフランス語が流れました。公用語はフランス語、ルクセンブルク語、ドイツ語の順で優先順位があり、議会ではディスカッションはルクセンブルク語ですが、憲法など正式な文書はフランス語で書かれ保存されているそうです。標識はフランス語が多かったです。近年は英語の需要が高まってきていて、逆にドイツ語は使われなくなってきていました。ルクセンブルク語も様々な場所で使われているものの危ういように感じました。言語はただのコミュニケーションツールであると割り切っている人がいるため凡庸性の高い英語やフランス語に偏っているのだと思います。しかしルクセンブルク語は日本語のように国のオリジナルの言語なのでルクセンブルク人としてルクセンブルク語を守ろうという風潮があり、家ではルクセンブルク語を話すことを家庭内ルールにしているルクセンブルク人がいました。
取材者 
ルクセンブルク大学は国内唯一の大学ですがどのような雰囲気でしたか?
岡本さん
実は2003年に創立した大学で新しい大学なんです!なんと学生の半数以上、57%が留学生でした。情報系が強いのと、多言語国家であるため私を含め言語を学びに来る留学生がいました。ルクセンブルク人は幼稚園でルクセンブルク語、小学校でドイツ語を学んでいて・・・ルクセンブルク語はドイツ語に近いためこの順だと聞きました。で、その後中高でフランス語と英語を習うのですが、フランス語は前の2言語と少し違うためここで落第し留年する人もいるらしいです。でもここを乗り越えれば言語マスターになれるらしい!笑。大学では高校で英語を学んできているため英語はすぐに習得できているという学生のために、文学や『ルクセンブルクにおける言語問題』といった言語の社会的問題などを話し合う授業もありました。
取材者 
ルクセンブルクでは日本の文化と触れ合う機会はありましたか?
岡本さん
体育館のようなところで弓道や剣道クラブをしているところがあり、弓道をしていました。日本で弓道を習ったことはなくて、ルクセンブルクで日本の文化を初体験するという笑。文化ではないのですがルクセンブルクには銀行やIT系の日本企業が進出していました。
取材者 
休みの日はどう過ごしていましたか?
岡本さん
周りをドイツ、フランス、ベルギーに囲まれていてどの国にも行きやすいこともあって小旅行によく行きました。ドイツのケルンへは3時間、ベルギーのブリュッセルへは3時間、フランスのパリへは2時間ほどでしたね。島国である日本と違い歩いて国境を越えられることが衝撃でした。あとは6月23日の国立記念日が印象に残っていますね。記念日前日からみんな街に繰り出してパーティー騒ぎで夜には花火が打ちあがりました。当日はパレード、ルクセンブルクの国旗で街が溢れかえっていました。私はルクセンブルクの旗を買ってしまいました(写真)笑。

取材者 
日本との違いとは何だと思いますか?
岡本さん
海に面しておらず、数か国との国境があることは日本との最大の違いといっていいと思います。でも便利である反面、緊張感を常に持たねばならないことが分かりました。大国に囲まれ、歴史的にも侵略を何度もされたため、部外者(移民)に対して心を閉ざしてしまったり警戒したりする傾向があるのだと思います。日本人として自分も警戒されていると感じたことがありました。しかし同時にルクセンブルク人は常にワールドワイドな視点を持っていました。ルクセンブルクという国が小国なのもあり、ビジネスなどを行う際には国外にも目を向けて幅広くやらないと成り立たないからだと思います。次にクラスにレズビアンの生徒がいて普通にカミングアウトして普通に生活していたことに少し驚きました。周囲が理解しているのだと思うのですが、日本ではまだカミングアウトをしている人を日常で見つける機会がないのでルクセンブルクの方がLGBTQやジェンダーに寛容なのだと思います。あとは言語についてです。日本は単一言語国家ですがルクセンブルクは多言語国家だったのがカルチャーショックでした。ルクセンブルク人にとってマルチリンガルはごく普通のことなので。
取材者 
ルクセンブルク大学に留学して得たことやよかったことを教えてください!
岡本さん
ヨーロッパ系の国からの留学生が多いこともあって英語のレベルが高く、自分の英語力に自信がつきました。もちろんヨーロッパ系の国の友達がたくさんできました!これは気が付いたことなのですが、ルクセンブルク人とひとくくりにするのが難しいと感じた。○○系ルクセンブルク人といった様々な血が混じったルクセンブルク人がかなりいましたし、使用言語も人それぞれだからです。家族内でもポルトガル系とドイツ系がいれば言語が変わります。私は日本と全く違う環境で貴重な経験ができたので、ルクセンブルクを知ることができてよかったと思っています。ルクセンブルクに渡航する日本人はあまり聞かないのでその少数な日本人の一人になれてよかったです。渡航前にはドイツやフランスに似ていると聞いていましたが、いざ渡航してみると一言では言えないのですがドイツでもフランスでもなくルクセンブルクならではの雰囲気というものを感じ取れたし理解でき面白い体験でした。

岡本さんは現在、ルクセンブルクで初体験した日本の文化、弓道を帰国後にも続けているそうです!また留学を機に「日本人として、世界に売り出せる日本の強みに携わりたい」と考え、語学力を生かして海外との関わりを持った仕事を目指しているそうです。

<取材・文>
共立女子大学
国際学部
立原 愛里彩

ルクセンブルク映画を観に行ってみた!

5月31日から6月27日まで京橋の国立映画アーカイブにて開催されていたEUフィルムデーズでルクセンブルク映画が公開されていたため観に行ってみました!
ルクセンブルクは映画産業が盛んなのですが、失礼ながら私自身なじみがなかったこともあり、日本でルクセンブルク映画はさほど浸透していないと思っていました。しかし当日会場について驚きました。客席は全300席超だったのですが、ほとんどが埋まっていた上、前売り券を利用して鑑賞されていた方が60人くらいいらっしゃったようでした。ルクセンブルクという国が好きで映画を選んだのか、映画好きで見に来たのかすごく気になりました。鑑賞者の年齢層は幅広く、外国の方も多数見受けられました。
映画のタイトルは『De Superjhemp Retorns(スーパージャンプ・リターンズ)』でルクセンブルクで大ヒットしたコミックが原作のヒーローもののコメディ映画でした。しかしルクセンブルクをモデルにした国が舞台であり、ルクセンブルクネタがたっぷりつまっていました。そのためそのネタを考察してみたいと思います。それにあたりルクセンブルク大学に留学されていた岡本さんにもネタ検証に少しお付き合いしていただきました。

ここからは映画のネタバレが少し含まれるかもしれません。ご注意ください。

①大公殿下と国民の関係性
映画では大公殿下への国民の親しみを映画にて深く感じるシーンが多々ありました。実際国民と大公殿下の関係はどうなのでしょうか。

岡本さん
現地で店頭に大公両殿下ご夫妻の写真が飾られていたのを何度か見ました。国民は大公殿下に対して好意的で人気なのではないでしょうか。シャルロット女大公殿下が特にルクセンブルクを第二次世界大戦の戦火から救った功績のために人気で銅像が街にあった、という話を聞いたことがあります。

②ほうれん草を食べると超人的なパワーを出すことで有名なポパイのように、当作品の主人公はヒーローとしてのパワーを国産チーズを食べることで発揮していたのですが、チーズはルクセンブルクの特産品なのか。

岡本さん
スーパーに国産チーズはいつも置いてありました。チーズというより国民は国を誇りに思っているため国産のものを大事にしているということの表れかもしれないと思います。ルクセンブルク人はルクセンブルク出身ということに誇りを持っていてルクセンブルクの場所を聞かれるとムッとするらしいです笑。

さらに、ルクセンブルクのチーズ消費量は世界第4位でありチーズは国民に親しまれている食材でした。
その他キーワードとしてブラックホールが挙げられます。ブラックホールは宇宙産業が盛んであることを表しているのかもしれません。

この映画では笑って泣いてさらにルクセンブルクの雰囲気を感じられるので、ルクセンブルクに足を運ぶ前に見ることをおすすめします!また見たら行きたくなると思います。 私は映画原作のコミックを読んでみたくもなりました。
そして是非『スーパージャンプ・リターンズ』はもちろんルクセンブルク映画を見てみてください。

<取材・文>
共立女子大学
国際学部
立原 愛里彩
東京家政学院大学
現代生活学部
鷺谷 友恵

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